人に教える話
人に教える、という行為が、どうも苦手である。というか嫌いだ。
私のようなつまらない人間が人様に何かを"教えてあげて"いいのは以下の3つの場合だけと決めている。
①相手から「教えてください」とお願いされた時
②人に何かを教えるのが自分の仕事である時(教育担当者とか)
③緊急あるいはどうしても必要に迫られた時
(本当は、③の定義をもう少し厳密にしておきたいと思っている。でも、大概のルールにはある程度の幅を持たせた方がスムーズに判断できる。)
これ以外の場合、大抵は、別に私がわざわざ教えてあげなくても何とかなることの方が多い。
働いてたりすると、どうしても後輩の動きが気になったりする。あぁ、もっとこうした方が早いんだけどな。とか、それは別にやらなくてもいいんだけどな。とか。
教えてあげたくてうずうずする。
でも、もしそれで仕事に影響が出るようなら、上記の③に該当すると判断できるから早く教えてあげればいいし、そうでない場合は①か②に該当する人が教えればいいと、自分に言い聞かせている。
これが正しい考え方なのかわからないし、むしろ間違っている可能性も高いけれど、でもとりあえずはこれが私の中での1つの小さな信念だ。
何でこんなに変なルールに縛られているのかというと、私は、人に何かを教えるというのは “親切な支配” だと思っているから。
誰かの言動が気になる。
“正しい”ことを“教える”。
ここで終われるならまだ良いと思う。
けれど、人は教えた以上、相手が自分の教えた通りに動くかどうかが気になる。
相手が自分の指示通りに動く。
それを見て満足する。
たとえ親切心から始まったことであっても、相手が自分の教えた通りに動くことで満足感を得たり、相手を動かすことで相手に対する自分の中の違和感を取り除くことが目的になっているのであれば、それは支配だと思う。
まぁ考えすぎだと思うし、“親切な支配” というのもずいぶん大袈裟な言い方な気もしなくはない。
たまに、マイルールを破って咄嗟に人に教えたり注意してしまうことがある。ほとんどの場合はその後何も問題ない。相手だってきっと何も気にしていないだろう。
けれど、教えた後にとんでもなく後悔することもある。「自分の都合や満足感のために、立場上私の言うことを聞くしかない相手に、どうでもいいアドバイスをして余計な時間を取らせてしまった」と思う。
大抵の場合、別にどうでもいいのだ。他人のことは放っておくのが1番良い。何で人はこうも他人の一挙手一投足が気になってしまうのかと嫌になる。反省。
などと色々理由はあるんだけれど、1番の理由は、自分が他人に口出しをされるのが嫌いだからなんじゃないかなぁとも思う。