すみれの話

話すと長くなる

描けない話

 

眉毛がどうしてもうまく書けない。

 

街中で眉毛が綺麗な人を見ると、まじまじと見てしまう。きっと変な女だと思われているだろう。

 

羨ましい。

 

 

 

YouTubeとかで綺麗に眉毛を描くための方法も何度も見たから、やり方は知っている。

 

イメージトレーニングはバッチリなはずなんだけど、いざ鏡を目の前にすると描けなくなる。

 

手が思うように動かない、元から生えている眉毛の位置がうまく掴めない、思ったように色が付かない。

 

 

 

子供の時、美術の授業で同じような感覚を何度も味わった。

 

ある時は、小学校の正門の前にしゃがみ込んで校舎を描く授業だった。

 

目の前に校舎があって、それがどのような形をしているか、窓はどんなふうか、色はどんな色かということをじっくりと観察した。

 

けれど、それをどのように白い画用紙の上に写せばいいのかがまったく思いつかなかった。

 

周りの友達はみんなもう鉛筆での下書きを終えて色を塗り始めていたのに、私の画用紙は何度も下書きを消した跡だけが残る、汚い白紙のままだった。

 

遠近法とか陰影の付け方とか、絵を描く前に先生が教えてくれたからやり方は知っていたけど、不器用な私が描くとどうもわざとらしくなりかえって下手に見える。

 

 

 

別の時には、遠足先の動物園で1番好きな動物を選んで、牛乳パックなんかを使ってその動物を作る授業があった。

 

当時小学1年生だか2年生だった私はキリンを選び、工作中も張り切って折り紙を細かく切って結構凝った模様を付けたりして、なかなか満足のいく作品を仕上げることができた。

 

だが、私の自信作のキリンを見て母は爆笑した。「このキリンなんで顔が丸いの?」

 

仕事から帰ってきた父も大笑いだった。

 

私は私のキリンの顔のパーツを丸い紙皿で作った。

 

その理由はよく覚えていないけど、たぶん「(人間の顔の輪郭は丸で描くから)顔は丸いもの」という安直な認識で丸皿を選んだのだと思う。

 

「キリンの顔は、三角形とか縦に細長い四角形でしょ?」と言われ、確かに、自分が動物園で見たキリンの顔は(というか一般的なキリンの顔はほぼすべて)そのような形だと思った。

 

何でキリンの顔を作るときにそんな簡単なことも思い出せなかったのか、自分でもわからなかった。

 

私のキリンは顔がまんまるなだけでなく、丸皿だから横から見るとまっ平らで、太陽の塔のようだった。

 

その、平たい顔族の前衛的なキリンを母はいたく気に入り、私が中学を卒業するまでのずいぶん長いこと玄関に飾られていたけど、私はそれを見るたびに自分の芸術センスや技術の無さを痛感する羽目になった。来客に見られ、母が学芸員の如くそのキリンを紹介するのも勘弁して欲しかった。

 

 

 

私は、見たものや感じたことを言葉にするのは得意な方だけど、絵や工作となるとどうやって表現したらいいのか今でもさっぱりわからない。

 

空気を写しとれと言われているような、頼りなくてぎこちない気持ちになる。

 

さらに手の動きが不器用だから、ものを描くために必要な技術も無い。

 

絵の具はうまく混ざらなかったり滲んだりし、彫刻刀は明後日の方向に進み、紙は真っ直ぐに切れず、色鉛筆ははみ出す。

 

自分の頭の中にある、思うようなものを作り上げたことが、これまでほんの一度だって無かった。

 

 

 

高校では美術か音楽が選べたから1秒たりとも迷わず音楽を選択し、これで二度と絵を描いたり工作をしなくて済むと思ったのに、大人になると毎日眉毛を描かなくてはいけなくなってしまった。

 

毎日が美術の授業のようで本当にうんざりする。

 

 

 

そろそろ眉毛サロンに行ってプロに作ってもらおうか、考え中である。